次々に起こる幸運の連鎖
皆さんはじめまして。私は都内の病院に勤務する45歳の医師です。この度、ご縁あって「資産形成」に明るい当サイトに寄稿させていただく機会を頂戴しました。しかし私は、NISAのみならず、ふるさと納税もやったことがありません。資産形成の経験がない私にとって、唯一にして最大の資産・・・それはこれまでの経験で築いた自分だけの個性や、獲得したスキル、つまり「無形資産」です。
13年勤務した大学病院を辞め、民間病院グループに転職したのが7年前。以来、グループの成長とともに、それまでグループになかった「感染委員会」を立ち上げ、異動を繰り返してはスタッフ・組織間の不和解消に努め、職員教育によって「離職者ゼロ」を次々に達成しました。業務の課題を明確にし、私の担当する部署のスタッフ(総勢約230人)とビジョンを共有することで、本年度末にはグループ内で最高(恐らく全国的にも屈指)の好業績を上げることができました。
公職としては、就労支援のナショナルセンターに対して医療的課題に関する助言を行い、出身大学の同窓会運営をしつつ、これまで経験のなかった同窓会誌の編集に携わっています。昨年からは連載の機会に恵まれ、この4月からは本連載を含めて3つの執筆活動、それと医療系雑誌の監修を担当することになりました。
趣味で40歳から始めた音楽活動(Vo.)では、昨年、都心のホテルでのミニコンサートの機会をいただきました。当然、今でも普段は医師としての業務をフルタイムで続けています。私なりに努力を重ねた結果、それをご評価いただいたのか、昨年からは幾つかのスカウト求人をいただく様になりました。これまでの環境に甘んじる事なく、この4月からは新たな職場で、更に挑戦を続けていきます。
中学受験時には偏差値35で、大学時代も成績は下位だった私。研修医時代も、「史上最低の」という枕詞が付いたこともありました。ですから、いやと言うほど才能のなさを自覚してきた私にとって、この7年間はちょっと出来過ぎた作り話の様でした。仲間や機会に恵まれ、その幸運が連鎖的に起きたことがこの作り話の殆ど全部なのですが、同時に僅かながら、他者との違い、自分だけのスキル、職業的アイデンティティがあることも自認しています。
ここでは、これまでの私の経験を振り返ることによって、幸運の連鎖を引き寄せる「私の無形資産」をご紹介していきたいと思います。本連載を通じて、皆さん自身が、そして皆さんのご家族が、皆さんの職場や組織が、そして社会がより良くなることを願って止みません。どうぞ、お付き合いください。
医師としての私の原点
私の専門は、世にも珍しい老年病科・老人科です。「ロウネンビョウカ」なんて初耳、という皆さんも多いのではないでしょうか。小児科が小児の医療全般の専門家であるのと同様に、老人・高齢者の専門家が老年病科です。
実際の診療に当たる臨床医の専門は、内科や外科に大別され、内科には例えば心臓疾患を専門とする循環器内科、お腹の臓器を専門とする消化器内科を始め、呼吸器内科、腎臓内科、神経内科、内分泌内科、膠原病科、アレルギー科、などがあります。対して外科についても、内科と同様に心臓血管外科、消化器外科、呼吸器外科、泌尿器科、脳神経外科などがあります。
老年病科は内科に属し、高齢者の多様な身体疾患の他、認知症を始めとする精神神経疾患をも対象とし、更には 低所得、老老介護、後見人制度、孤独死、昨今の高齢者の自動車運転問題などの経済的・社会的問題とも密接に関わる幅広い分野です。まさに現代社会になくてはならないジャンル・専門であるにも関わらず、全国に約80校ある医学部において、老年病科が診療科として存在するのは5割以下、恐らく3分の1程度ではないでしょうか。時代的には必要とされているにも関わらず、医学教育や臨床の現場で老年病科の必要性が疑問視されているのは、その立ち位置によるところが大きいと思います。
まず、わざわざ老年病科と言わずとも、小児科を除けば病人の多くは高齢者ですし、結果として老年病科での治療レベルを超えて専門科に治療をお願いしなくてはならないことがあることです。つまり専門科からは「簡単な疾患しか診ることができない」と思われがちです。
次に医療経済的に、不採算部門になりやすいことです。現代の急性期病院での入院治療はDPC(包括医療算定システム)によって、疾患ごとに病院が得られる収入は決められていて、例えば「肺炎」で入院したら、入院初日は◯◯、2日目は◆◆円、と決められています。同じ肺炎を、高額な治療薬で治療しても、原因菌を充分に想定して必要最小限の有効範囲を持つ安価な治療薬で治療しても、得られる収入は同じです。入院初日以降、病院が得る収入は急速に減少するようになっており、入院から10日を過ぎた頃には、治療内容や職員の人員配置や設備によっては、収入と支出が逆転、赤字に転落する場合もあります。
つまり高い収益性を保って医療機関を運営するには、難しい(医療収入の高い)疾患をどれだけ短期間で治すか、が重要になるわけです。しかし老年病科が対象とする高齢者によくある疾患(common diseases)には高い医療収益は期待できず、また高齢者ゆえの虚弱によって治療期間も伸びるため、老年病科は益々その存在意義を失ってしまう傾向にあります。
そんな中、私の出身大学には老年病科が依然として存在し、医学生へのカリキュラムも当然ながら担当しています。学問としての「老年病学の重要性」と、診療科としての「老年病科の低い収益性」との間で、全国の各大学も揺れているのです。この理想と現実への各大学のアプローチの違いが、各医学部における老年病学・老年病科の有無に繋がっていると思います。
ではなぜ、私がそんな老年病を選択したのか・・・それは私の幼少期にまで遡ります。祖父の入院の見舞いに行っていた小学3年生の私は、長期の治療によって経済的に追い詰められ、困窮していく祖父母の姿を見ていていました。祖父母の入院していた病院は非常に手厚く、当時の先生やスタッフの皆さんへの感謝の気持ちは未だに消えません。しかしこの時の何とも矛盾した思いが、私の医療の原点です。
あの時抱いた矛盾への疑問は、高齢者医療と経済、制度や行政との密接な関わりと、世界に冠たる国民皆保険制度を持つ日本でさえ万人を幸せにすることができないというシステムの限界にあると気づいた私にとって、大学卒業後に老年病科を選択したことは自然な事でした。また私の家系には医療関係者が殆どいなかったことも、先入観なく原点の思い1つで老年病科を選択できた理由だったかもしれません。
現場で思い知った「自分に足りないもの」
しかし実際の医療現場に立つと、自分の年齢の3倍、4倍にもなる高齢の患者さんの人生を引き受けるには、「多様性」が必要でした。豊かな人生経験を持つ患者さんやご家族の困難に寄り添い、苦悩を共有することは簡単なことではありません。それぞれの社会的・経済的階層にある方々の苦悩を理解するため、法曹学や宗教学など、業種の異なる学会や勉強会にも参加してきました。参加した勉強会で医師に会うことは珍しく、殆どは会社員や公務員、教育関係者、法学部や経済学部、社会学部の学生の方々で、そこで行われるディベートから沢山の刺激と知識を吸収することができました。
参加してきた研究会の中で、最も印象深いのは「貧困研究会」です。当時、貧困問題に関心を寄せていた医師4年目の私は、雑誌「貧困研究」を知ります。中を見ると、近々開催予定の「貧困研究会」開催の案内と「参加自由」の文字が。大規模な学会を想像していた私は、当日、水道橋にある某大学のキャンパスを訪ね、衝撃を受けました。会場は学校の教室程度と、私が想像していたものより遥かに小さく、その他大勢の参加者の1人として目立たずに研究会に参加することはできないと悟ったからでした。「ロ」の字に並べられたテーブルと、30脚に満たない椅子が置かれた部屋では、互いに顔見知りの「先生」と呼び合う人達が親しげに話していました。
参加していたのは各大学の社会学や福祉関連学科の有名教授ばかりだったのです。会が始まって間もなく、明かに部外者の私が自己紹介する番になりました。医師であることを告げると、思わぬ「異分子」の参加を歓迎してくれました。その日のテーマは「欧米各国の自立支援制度の比較」で、その国の制度について詳しい教授や講師が、現地取材で得た知識を報告し合う、という内容でした。
その後のディスカッションでは私にも発言権が与えられ、「一度受給すると自立することが難しいのが、日本の自立支援制度、つまり生活保護制度ですが、欧米ではどのようにして『自立』を実現していくのですか?」と質問しました。そこから議論はさらに発展し、日本と欧米の国民性の違いから生じる制度の差異について、有名教授が次々に私に個人講義をしてくださる様な、何とも贅沢な時間となりました。
そこで知り合った先生からの紹介で、「日本社会保障法学会」という、いわゆる法曹的な学会にも参加することができました。それぞれの研究会・学会から、医師としてはレアな、しかも最先端の知識を、たくさん吸収することができました。
「幼いころから抱き続けた好奇心」と「場違いを楽しむ冒険心」によって、それまでの私には無かった「新たな知識」を連鎖的に獲得することができました。これは後の私を特徴づける、他者にはない特徴となりました。そして同じ手法で他の経験積み重ねることで、いずれは私を彩る「多様性」へと変わっていきました。
更には、臨床的な知識や実技だけでも習得するのが大変だった私にとって、こういった研究会への参加は、現実逃避を兼ねて医療以外の分野について考える貴重な機会となり、趣味と実益を兼ねた、まさに一石二鳥の有意義な時間になったのでした。
多様性獲得の「優先順位」
ダイバーシティという言葉も新らしさを失いつつある昨今、多様性を獲得するためには、どんな基準で、何から身に付けていくべきでしょうか。この「優先順位」について、Johnson & Johnsonやカルビーを率いた松本晃さんに、直接お会いして質問する幸運に恵まれました。
「ダイバーシティと言いますが、企業で言えば自社にない技術を、外部から、例えばM&Aによって獲得しようとする時、そこに基準や優先順位はあるのですか?」と。すると松本さんは笑顔で、「そんなものは無い。女性を多く抜擢すればいいだけだよ。」と返してくださいました。男性社会の企業にとって、最も身近で、最も異質な存在である女性を多く登用することが、多様性獲得にとって最も重要だというのです。しかも他社ではなく、既に自社内にいる女性を、です。まさに「灯台下暗し」。
「人間は、見たいものしか見ない」という名言がありますが、答えは目の前にあって、見えていないのか、見たくないのか…。皆さんが多様性を獲得しようとする時、答えは案外、身近なところにあるのかもしれません。
次回、第2章は、「断らない覚悟」について、お話ししたいと思います。次回も、お楽しみに。
45歳 埼玉県出身 杏林大学医学部卒 専門は老年病科
永生病院 リハビリテーション科勤務
国立職業リハビリテーションセンター 医療情報助言者
杏林大学医学部同窓会理事
これまで病院の立ち上げや業務改善に多く携わる。
医療系雑誌やサイトでの連載・寄稿多数。
現在は医療系雑誌の監修も担当。趣味は音楽活動(Vo.)。